大学入試・英語の学習に役立つ記憶術:宮口公寿

自営業だった父親の仕事が突然傾き、大学進学をほぼ諦めかけていました。 「東京大学という最難関の大学」へ志望校を変更しました。どうせ実現不可能と思っていましたが、学費がほとんどかからないという大学という選択肢しかありませんでした。 周囲の人たちは、私を見て笑っていました。 偏差値41の人間が東大に合格するはずがないと。 普通の勉強法をやっていては絶対に合格しないと思い、ありとあらゆる勉強法を探しました。 そこで出会ったのが、記憶術でした。 そして、私は、記憶術を縦横無尽に活用して、見事東京大学へ

こんな手法をつかえば,中学3年でも,微分・積分がわかってしまう。

原点に戻って記憶術について、また書いてみたいと思います。

 

ブログを書けなかった言い訳を1つ。

 

生徒さんが増えたり、新しい新規事業として立ち上げた仕事が、予想以上にうまくいったり、I Tの指導業務が拡大して、日常業務に忙殺されて、ブログに手がつけられませんでした。

 

確かに売り上げも上がったし、仕事も充実してk\いるのですが,どれも対面の仕事なので,私がじっさいに働く必要があるので限界があります。そこで、限界のないオンラインの活動を再開したいと思っています。

 

このコロナ危機によって、学力はものすごく差がついていると思います。

 

もし,私が小学生だったら、学校に行かなければ絶対に勉強しないし、家にいてもずっと遊んで、どんどん学力は下がるばかりだし,かといって打開策は無い。そんな感じの子供時代を過ごしていると思います。

 

東京大学に合格できた私ですが、小学校の頃は、馬鹿でした。(今,頭がいいというわけでは全くありません。)昭和40年代だったので、進学熱もあまりなく、宿題もほとんどありませんでした。

 

そのかわり,当時普及し始めたテレビに夢中になっていて、不思議なことに新聞の番組表のテレビ欄は,全て自然に暗記して言える位になっていました。今で言えばYouTube

 に夢中という感じてす。

 

家が少し裕福だったので、昭和40年代に早くもカラーテレビを購入し、外国の映画をカラー(天然色)で見ていました。

 

当時、映画館で見る映画が,家で毎日見れるんだと思って,感動したのを覚えています。カラーテレビは,当時,非常に高価だったのです。

 

商売が上手かった父親が、カラーテレビを無理して購入しましたが、カラーテレビを見たいがために,うちにお客さんが殺到し、ビジネスが非常にうまくいきました。

 

骨董屋をやっていたので、店先にテレビを置き、お客さんが,1,2時間見てる間に、依頼された骨董の修理をして、お金をいただく,そんなビジネスモデルでした。夜は,一家団欒でテレビを見ていました。当時としてはめずらしく,しばらくしたら,ほぼ1人1台レベルぐらいで,テレビを購入していました。

 

こんな環境だったので、よっぽど意識の高い人でない限り、勉強ってやりませんよね。

 

東大に合格して,さらに,かなり良い成績で卒業しましたが、小学生の時,大学にすら行けるなんてこれっぽっちも思っていませんでした。勉強がものすごく苦手だったし、特に嫌なことは、漢字を覚えるこでした。

 

漢字のテストなどがあると、大概,びりで、やっとびりから抜け出したと思うと,同じく最下位だった友達も同じ点数を上げていました。

 

だから,勉強ができない人の気持ちがものすごくよくわかっています。それが,現在の1対1の個別指導に非常に有効な武器になっています。

 

ある中学生が半年前にきました。数学が苦手で、将来の希望である医学部進学を諦めろと,学校の先生や塾の先生に言われて,私のところに駆け込んできました。

 

毎日,30分ぐらいしか数学をやってないのに,もうすでに高校3年生の数学をひととおり終え,センター試験ならば,多分50点ぐらいは取れると思います。それでは,まだ有名大学に受かりませんが、あと1年しないうちに,大学受験の数学は終わってしまう予定です。

 

どうやってそのように短時間の勉強で高い成績を得ることができたのか?
これは経営コンサルティングの手法を使っているからです。

 

ちょっと長すぎたので,次のブログで。